(本)奥谷家住宅
非公開

建築年代:
  19世紀初期 (1812−29年頃)
所在:
   
城之門筋・富山町 (じないまち散策地図
由来:
   当家は代々屋号を岩瀬屋と称し 大阪府河内長野市岩瀬から18世紀頃、この地に移住したと伝えられる。家業は材木商を営み、天保14年 (1843年)の村方様子明細帳には3代目「伊右衛門」の名が見られ、村役を務めていたと考えられる。また当家には3代目夫婦の肖像が残っており、大変貴重なものである。
建物の特徴:
  
屋敷地は一区画の東半分。敷地の東南端に母屋を東西棟に配し、敷地の周囲には土蔵、納屋、新座敷を配すなど、近世末の豪勢な構えをよく留めている。妻面の庇(ひさし)がぐるりと回っておらず、切ったような形をしていますが、かぶとに似ていることから「かぶとづくり」といいます。台形のような開口部ができ、そこに窓が作られています。東日本の住宅に多く見られ、二階で養蚕をするため窓をとって通気を良くしています。 (「じないまち瓦版 第7号」 富田林寺内町をまもりそだてる会発行)
富山(とみやま)町沿いに手前から(本)奥谷家、(東)奥谷家が並ぶ。 (本)奥谷家住宅の全景 (富山町)
付格子と大戸
じないまちフェスタで、玄関に家紋(「蔓に三柏」)と屋号が入った暖簾が掛けられました。
(2004年10月10・11日)
じないまちフェスタで、玄関に家紋(「蔓に三柏」)と屋号が入った暖簾が掛けられました。
(2004年10月10・11日)
駒寄せ(結界)と持ち送り(軒庇の支柱)

町屋の道路に接する面に寄せて設けた牛馬を繋ぐための柵。駒繋ぎ、牛繋ぎなどともいう。後に、人や動物から建物の外壁や建具を保護するための柵に変化した。これを犬垣、犬防ぎ、犬矢来ともいう。
防火用水槽
母屋(本瓦葺き)の煙だし越屋根
城之門筋から見た母屋 城之門筋
グループで寺内町を散策されるご来訪者
母屋の厨子(つし、2階部分)にある虫籠窓(むしこまど)
兜(かぶと)造り
妻面の庇(ひさし)がぐるりと回っておらず、切ったような形をしていますが、かぶとに似ていることから「かぶとづくり」といいます。台形のような開口部ができ、そこに窓が作られています。
寄せ棟造りの屋根の妻部分を垂直に切り落として、二階や小屋根に開口部を設けるようにした、養蚕を行なうために発生した造り。山梨県南部に多く見られる。「兜屋根」ともいいます。
兜(かぶと)造り(母屋東妻面)
城之門筋から見た外観 壱里山町から城之門筋を見通す
忍び返し(屋根)
忍び返し(屋根)と犬矢来(板塀の結界)
外観修景工事を終えた土蔵
(2006年5月)
用心堀 (暗渠)と岩永橋 (がんえいはし) 用心堀と岩永橋

東側の城之門筋に沿って用心堀(暗渠)が通っており、架けられた岩橋の耳石に刻まれた文字「岩永橋 (がん恵はし)」は、岩瀬屋が永久に繁栄することを念じて刻まれたと言われている。  
壱里山町 (奥谷家住宅、左側) 壱里山町の町並み
外観修景工事中の土蔵(壱里山町)
(2006年5月)



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